2008年4月7日月曜日

桜の頃に。

友人の1人が、いま
1つの決断をしようとしている。

やがてなされるその決断が
どういう科学反応を起こすのか、
今はまだ分からない。

分岐点を右へいくか左へいくか。
その道が正しい道かそうでないか。

やってみなけりゃ、分からない。

決断を意味付けるのは、いつも
そのあとの自分でしかないのだから。

ある人は「染まって」しまうと
いうかもしれない。

あるいはまた本人も
「染まって」しまうことを
恐れ、怖がるかもしれない。

比喩をそのまま色に例えると、
例えば黒という色は、染まらない。
他のどんな色も受け入れず、
塗りつぶすであろう。

だがそれは、果たして美しいだろうか。

真っ白な、もしくはかつては
真っ白だったキャンパスがあって、

そこにいろんな色が幾重にも
塗り重なって、ひとつの色になっていく。

それがお前色。

こうなりたいという明確なイメージがあり、
そこに向かって何をすべきか
分かっている人は、恐れない。

例え思いもよらぬ色が
キャンパスに加わっても、
それは他のいろんな色と中和しあい
やがて自分色となっていくであろう。

がんばれ、佑ちゃん。

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